社会奉仕活動の記録

「尾道ロータリークラブ」では、会員のスマイルボックスへの寄付で様々な社会奉仕活動を行っています。スマイルボックスとは、会員に祝い事等が有った時、自発的に行う寄付金を入れる箱のことを言います。

美術陶板「安永の絵屏風」   

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市内浄土寺所蔵の市重要文化財「紙本著色尾道絵屏風(安永の屏風)」は、江戸中期の尾道の町並みを克明に描いたものであり、当時の海産乾物問屋や寺院、尾道水道を行き交う北前船の帆柱などが墨で描かれ「商港都・尾道」の繁栄ぶりを伝えています。尾道RCは、尾道東RCと共に国際ロータリー100周年記念事業として、この屏風を美術陶板として尾道ゆかりの文人墨客たちの美術品を展示するおのみち歴史博物館に寄贈いたしました。

小野十三郎と木下夕爾の歌碑

rec02創立40周年記念事業として小野十三郎と木下夕爾の詩碑を土堂二丁目、商工会議所西の海岸プロムナードに建てた。10周年には駅前に時計塔を、20周年には千光寺に藤棚を作った。どちらも形を残してない。永久とは言わないまでも長く残るものにしたいというのが委員の胸にあった。パソコンの話も出たが、結局詩碑に落ち着いた。尾道の山腹にはJCの建てた「文学のこみち」があり、江戸時代からの句碑や歌碑もあるが、当時面目を新しくした海岸のプロムナードが場所としてはどうだろうか。海岸通りを散策する旅人には風情をそえてよかろうとなった。詩は尾道を詠んだ小野十三郎の「車窓で」と木下夕爾の「春の鐘」と決まった。吉田真三先生がそれがよかろうと言われた。木下夕爾はもう故人だった。小野十三郎は病臥中でなかなか連絡がとれなかった。途中、山波の石屋へ何度か進行を見にいった。略歴の中の段落「」がどうも治まりが悪く、横長にして格好が付いた。碑の横にステンレスの帆掛け舟をイメージした飾りがついた。若い清水君らの着想である。除幕式は雨だった。大阪から小野十三郎関係の方がお見えになられた。

中村憲吉の歌碑

rec03アララギ派の歌人中村憲吉が療養中の尾道で亡くなったのは昭和9年のことだ。旧居の前に歌碑が1基。ときどき訪れる旅の人がある。いつだったか、長野県からバス2台を連ねて旧居を訪ねたチームもあった。ここは憲吉を慕う歌人にはメッカなのだ。しかし、旧居はすでに朽ち果てていた。垣内会長のとき、理事会で旧居の修復が議題に上がった。買い取って市へ寄贈しようというのである。旧居の所有者山中家へ申し入れると、私方で直接、市へ寄贈しますというご返事をいただいた。尾道ロータリーは買い取り代金を修復の費用に市へ寄付を申し出た。母屋は取り壊され、憲吉が病を養った離れが修復された。平成9年5月5日憲吉の命日、落成式挙行。ときの渋谷会長がテープカットに加わった。

つづきがある。母屋を取り壊した跡がいかにもタダ広い。また、千光寺の石段から旧居に到る途中憲吉の歌碑が1基あるだけ。せっかく訪ねて来られる旅の人には味気なかろう。小倉会長の時、途中に碑を建てることが決まった。石の形を変え、色彩を変えて石段から旧居の門に到る小道に3基建てた。藤原勝子先生の筆だ。門に連なる白い壁に陶版に焼いて埋めた。お手本は金沢の卯辰山にある徳田秋声の文学碑である。陶芸家の渋谷さんは現地まで出掛けて研究した。素人が思い付きを言うほど簡単ではなかったようだ。

揮毫は藤井吉蔵さん。除幕式は平成10年5月26日。尾道市長も隣席。前回と同じく憲吉の五女、中村礼子女史もはるばる東京から参列されました。

怪傑黒頭巾と緑の地平線の歌碑

rec04平成10年尾道市制100周年の年だった。市では記念事業として文学フェア・プロジェクトを組まれ、平田玉薙・横山美智子・志賀直哉・林芙美子・山下陸奥等これまで知られた尾道ゆかりの画家、文学者の外に新しく発掘された尾道出身の行友李風・高垣眸の顕彰が行われた。作品展・資料展・講演会は連日、盛況だった。この年の吉田雄一会長は文学フェアの成果を形に残そうと尾道東ロータリークラブ・ソロプチミスト尾道に呼び掛け、高垣眸・行友季風・横山美智子3人の文学碑を作ろうとした。尾道東クラブの協力が得られて高垣眸の「快傑黒頭巾」と横山美智子の「緑の地平線」の碑が実現する。場所は誕生早々の「尾道文学の館」の庭である。

高垣眸は大正末期から昭和の始め、「竜神丸」ジャガー「豹の目」「快傑黒頭巾」「まぼろし城」を雑誌「少年倶楽部」に連載した。とくに「快傑黒頭巾」は全国の少年少女を熱狂させて、ファンレターが山のようになったという。碑には黒頭巾の像と黒頭巾の謎が解ける場面の一章を刻んだ。横山美智子が郷里尾道の人を驚かしたのは、昭和9年、朝日新聞の懸賞小説募集に「緑の地平線」が一等に入選したことだ。賞金一万円。当時、サラリーマンの初任給が40~60円だった。その後美智子は少女雑誌「金の船」を主催して全国の少女の夢をふくらませた。「緑の地平線」は映画化され、主題歌「緑の地平線」は一世を風摩した。碑面には小説の一節と、横に小さな碑を並べて主題歌の音符を刻んだ.除幕式は高垣眸の長男葵氏、横山美智子の長女山脇百合子親子お三方が臨席。高垣葵作詞、高垣薫作曲「尾道賛歌・やさしい町」が披露された。

社会奉仕活動の記録
平成17年(2006)   能登半島地震災害義捐金
拉致被害者家族支援金送金
平成16年(2005)   市民公開講座「愛と平和への祈り」対談 窪島誠一郎vs杉浦圭子
平成15年(2004)   福井中越水害義捐金送金
新潟中越地震災害義捐金送金
スマトラ沖地震災害義捐金
RI100周年記念事業としておのみち歴史博物館へ美術陶板(安永の屏風)寄付
平成14年(2002) 6月 「ふれあいサロン」ヘラジカセ24台寄贈
10月 尾道東RCと合同で市民公開講座「財間八郎先生講演会」開催
平成13年(2001) 9月 尾道東RCと合同で市民公開講座「教育に意識を喚起し、奉仕に取り組む」を開催
平成11年(1999) 2月 「尾道文学の館」へ尾道東RC合同で文学碑2基贈呈
「快傑黒頭巾」高垣眸
「緑の地平線」横山美智子

※尾道文学の館は令和元年末に閉館、文学碑2基は、東土堂ポケットパーク(尾道市東土堂町13-22)に移設しました
平成10年(1998) 6月 「中村憲吉終焉の家」へ、歌碑3基、陶板2枚贈呈
平成 9 年(1997) 3月 「山波神楽保存会」へ、日米文化交流フェスティバル参加支援
6月 「尾道市女性協議会夢追い塾」へ、機材購入資金援助
9月 「財間先生記念碑」建立資金を寄付
平成 8 年(1996) 4月 「中村憲吉終焉の家」保存基金として尾道市へ寄付
6月 ストップ・ザ・ポイ捨てキャンペーン、ステッカー・ポスター展協力
7月 シルパー人材センターへ、rシルバー観光ガイド、ユニホーム」購入資金援助
8月 広島国体広報活動支援金として、国体実行委員会へ寄付
平成 7 年(1995) 2月 阪神大震災お見舞金・尾道東RCと共同
平成 6 年(1994) 5月 明るい社会づくり運動尾道市協議会へ寄付
尾道のぞみ会設立準備会へ寄付
ボランティァ基金として尾道市へ寄付
7月 生涯スポーツ、フェスティバルに協賛金
平成 4 年(1992) 4月 「ベッチャー太鼓」渡米演奏会に協力 
12月 尾道市福祉協議会ヘボランティア基金を寄付
平成 3 年(1991) 5月 小学校へ車椅子を寄付
6月 雲仙地震へ見舞金を送付
10月 身体障害者施設「尾道サンホーム」へ大型テレピを寄付
平成 2 年(1990) 4月 市へ車椅子を寄付
6月 市へ防犯灯を寄付
8月 身体障害者施設「尾道サンホーム」へ大型洗濯機を寄付
10月 尾道市立図書館建設資金を寄付
平成元年(1989) 8月 水泳を通じての青少年育成活動に協力
10月 愛鳥活動「巣づくり」に援助金
11月 栗原中学校にウォータークーラーを寄付

これ以前の社会奉仕活動の履歴はこちらからご覧になれます。